こんにちは、サトウ(@mukashime)です。
最近きちんと新しい本、読んでます。今日は貴志祐介さん著の「我々は、みな孤独である」です。
探偵・茶畑徹朗(ちゃばたけ・てつろう)の元にもたらされた、
Amazonより
「前世で自分を殺した犯人を捜してほしい」という不可思議な依頼。
前世など存在しないと考える茶畑と助手の毬子だったが、調査を進めるにつれ、次第に自分たちの前世が鮮明な記憶として蘇るようになる。果たして犯人の正体を暴くことはできるのか? 誰もが抱える人生の孤独――死よりも恐ろしいものは何ですか。
帯に著者の7年ぶりの長編と書いててだいぶビビりました。「新世界より」とか「悪の教典」とかつい最近じゃん!!!って思ってたんですけど「新世界より」なんて9年前なんですよねひえ~~~~~時の流れは残酷。本編より先に帯でびびらせるのやめて。
貴志さんの本は「黒い家」の頃から好きで、もしかしたら一番長く追っている作家さんかもしれません。
最早ベテラン作家さんともいえる貴志さんの久々の長編。読んでみた感想はもう貴志さんの書く本で自分にとって好きなところ全部乗せみたいな感じで
超面白かったです。
「黒い家」を彷彿とさせるサイコパスなキャラクター。「クリムゾンの迷宮」を思わせる追う者と追われる者の緊張感。「13番目の人格ISOLA」を読んでいたらちょっとふふっとなりそうな部分。
などなど…読み込んでいくともっとありそう。でもそれが二番煎じとかではなく、描写も設定も全部パワーアップしてるのが凄まじい…。
特にグロテスクな描写は容赦なかったです。
今までも著者の作品には割と残酷描写がありましたが、例えば「黒い家」ではぼかされたような部分ががっつりモロに描かれたりしてます。人を「さばく」描写が延々と続いたりします。
その辺は苦手な人、注意かもしれません。ジャックケッチャムとか好きな人は好きだと思います。
現実にありうるヤクザや麻薬カルテルに追われたり、主役が探偵というキャラ故にミステリーだと思って手に取る人がいるかもしれませんが、それを期待して読むとオチの方向性の違いに肩透かしを食うかもしれません。
私はホラー・SF畑の人間なのでめっちゃ楽しめました。
“依頼主の前世を歴史や現実の出来事と示し合わせながら追っていくうち、主役も、そして主役の周囲の人間も、「前世の記憶」を夢に見るようになり、しかもそれは依頼主の前世に深く関わりのある人物であることが分かり始める。”
この辺までだと、前世に関りのあった人とは現世でも出会うっていうのは生まれ変わりとか前世の話だとよくあるよね。って感じなんですけど、問題はここから
「複数の人間が、同じ前世の人物であることを主張しだす」つまり「同じ人物の前世の記憶を持っている人が何人もいる」という奇妙な展開に。
ということは、結局これは依頼主に影響された人々による集団ヒステリーの類なのか?それとも「前世が被る」理由があるのか?
そもそも「前世」というのは奇妙なものだ。
昔と今では人間の数が圧倒的に違う。誰かが死に、その人の魂なり意識なりがまた繰り返すのであれば、数が合わなくなるものではないか。
そう考えると「前世が被る」のは逆に言うと正しいのかもしれない。
例えば、意識は枝分かれするとか…。
などと話の中で推測が進む中、今度は「前世を夢で見たと思い、その前世の人物の足取りを追っていくと、前世の人と思われる相手はまだ存命していた」(ややこしいな)などさらに混乱した事態に。
もしかしたら我々の思う「前世」と「真実」は違うのでは…。
そしてついにその「真実」を知った時、人は本当の「孤独」の意味を知る…。
我々は、みな孤独である。けれど…
そういったスピリチュアルな物語と並行して、現実世界では血なまぐさいハードボイルドも展開するなど、正直どのジャンルに属すのかもよくわかりません。
でも読後には、すごい恋愛小説を読んでしまった…という気分になります。(さらによくわからないだろうけど、知りたい人はぜひ読んでみてほしい)
読み終わってからこの表紙の意味が分かりグッときたよね…
現代的なSF好きの人にこそ読んでほしい一冊です。
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