栄光、はるか彼方「戦争における「人殺し」の心理学」

死ぬほどめんどくさがりなので、雑記の読書感想文のパーマリンクを番号にしてるんですけど、そろそろ混乱してきましたね。(まだ一桁)

なんかうまいこと、自動で付けてくれるサービスとか探そうかなー。


今回の本は、…前のブログでも書いたかもしれないな?いやでもぜんぜん覚えてない(痴呆


「戦争における「人殺しの心理学」」
です。

本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れされていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。

「BOOK」データベースより


戦争という極限状態に置かれれば、人は必ず人を殺すのか?

一部のサイコパスやソシオパスを除き、大多数の平凡な人間の場合は、ただ凄惨な戦場に放り込んでも人は殺せない。

人に人を殺させるには、環境を整え、心を操作し、「人殺し」が”しやすい”状況に、人間を追い込まなければならない。

本の中では、アメリカが、ドイツが、ほかあらゆる国が、自国の若者を「人を殺せる兵士」としたプロセス、そして「兵士」の心理状況の詳細が記されています。


例えば、「責任の分散」。本書に載っている下記の図はとてもわかりやすいです。

戦争における「人殺し」の心理学 責任の分散の図

「上司に命じられたから」「ほかの人もやっているから」「仲間と共に目標を達成するためだったから」「人数の多い自分たちは正しいから」

多方面に罪悪感を分散することで、普通の人でさえ、「殺人」という禁忌に抵抗がなくなります。


また、人は「殺す対象」を「殺されて当たり前」の下等な存在とみなすことで、楽に相手を殺せるようになるらしい。

しかしその逆に、相手を「好敵手」とみなし、敬意と尊敬を抱くことで、戦争を”神聖な戦い”と錯覚し、殺人行為を正当化することもあるのだとか。


この本は、「人が人を殺すにはこれだけの理由付けやプロセスが存在するのだ」と教えてくれます。後半には、「人殺し」にされた、PTSDに苦しむ兵士の姿も描かれます。


この分厚い本(2cmくらい)を手に持つと、国が、組織が、権威者が、戦争や人殺しをする理由を作り、数多くの兵士を作る方法が、こんなにもあるのか、と少し怖くもなります。

この本の重みには「人殺しをする人間になる(する)には、こんな方法も、あんなやり方も、たくさんあるんだ。そして国は、権威者は、それを知りながら実行し、善良な個人を破壊するのだ」という残酷な現実の重みを感じるのです。

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この記事を書いた人

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