嫁に行くなら、棺桶を背負って行け「死の貝」

こんにちは、サトウ@mukashime)です。

エルゴヒューマンが来たぞ~~~もう少し使いこなしてからレヴューでも書きたいな。今は普通に体調が悪い


今日は図書館で借りた「死の貝」です。

米粒ほどの巻貝に潜む虫が、かつて日本各地の人々を死に至らしめた。それは世にも恐るべき奇病であったが、日本はこの寄生虫を駆逐した唯一の国である。日本住血吸虫症を撲滅した、官民一体の知られざる奮闘を描く。

「MARC」データベースより


多分知っている人はすでに知っているし、知らない人は全然知らない奇病だと思います。

これはあのネット民には超有名な「wikipedia三大文学」の一つ、地方病 (日本住血吸虫症)について詳細に書かれた本なのです。


なんで絶版なの…?

簡単に説明すると以下のような流れです。

明治20年ころから甲府盆地特有の「地方病」という呼び名で既に記録があった謎の疾患。実際は近世の頃から長くその地方出身者を悩ませていたとみられる。

それは一度罹患すると患者の多くが発熱や下痢などを起こし、一部のものは軽症のまま回復、しかし重症化したものは腹水が溜まり腹が膨れ、一方で手足はやせ細り、最後には死に至る。

当時は原因はわからず、勿論治療法もなかった。罹患した家族の腹が膨れてしまうと、もはやその人が死ぬまで何もしてやれない。

甲府盆地、甲斐(現:山梨県)の人たちにとってその病はもはや馴染みのものとなり、噂は周辺地域にも広まっていた。

幕末の頃には、その病が多発する地域に嫁へ行く娘を唄ったこんな俗謡がある。

竜地(りゅうじ)、団子(だんご)へ嫁に行くなら、棺桶を背負って行け

「死の貝」より


当時原因はわからなかったが、人々は薄々「水が悪い」と考えていた。田んぼなどに入ったあとに、かぶれたように足がかゆくなることがあった。それから病状は悪化しだすことがあったからだ。

しかしだからといって、甲府盆地の貧困層は農業で生計を立てるほかなく、水に入らずには生きられない。

この悪循環にあっても、そこに生きる村の人たちは必死に原因を突き止めたいと願っていた。

原因は皆目判らず。水だろうか、土だろうか、それとも身体に原因があるのだろうか。嗚呼悲しきかな、困苦見るを忍びず。

死の貝より

明治の頃には、上記の村人の必死な嘆願が当時の山梨県知事に届けられたが、県はなかなか重い腰を上げようとしなかった。

しかし数年後、徴兵検査のために軍医が件の村落を訪れたところ、成人前後、徴兵年齢に達する若者のほとんどが、140センチの子供程度の身長しかなく、陰毛も髭もない、明らかな栄養不良であるのを診て驚愕。

事態を重く見た軍が行政に病理解決の圧力を強くかけたおかげで、本格的に県もこの病気の解明に力を入れることとなった。

(あまりいい印象のない、戦争や徴兵制度がこんな形で役立つことがあったとは…)

こうして県や国の協力を得ながらも、この病気の原因とその根絶にはさらに長い時間がかかり、その間には、あらゆる人々の苦悩、努力、絶望があったのです。


「死の貝」はWikipedia以上の情報量で、この奇病のメカニズムから何まで記されています。


なんで絶版なの…?


たぶん、図書館とかにあるので興味のある方はぜひ探してみてください。

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この記事を書いた人

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