こんにちは、サトウ(@mukashime)です。
今回はちょっと下のほうで「呪怨 呪いの家」に対するお気持ち長文的なとこがある記事です。ネタバレもあるし、全然プラスなことも言ってないので、ブラウザバック推奨です。
一応メインは、映画「モンスター」についてです。
1986年、フロリダ。ヒッチハイクをしながら男に身体を売る生活に疲れ果てたアイリーン・ウォーノス。有り金の5ドルを使い果たして死のうと決め、飛び込んだバーで、彼女は一人の女性セルビーと運命的な出会いを果たす。同性愛の治療を強制されフロリダにやってきたセルビーもまたアイリーンと同様に社会からの疎外感を抱いて生きていた。初めて自分を偏見なく受け入れてくれる人物と出会ったと感じたアイリーンは、“ふたりで暮らそう”と提案する。そのためにお金が必要になった彼女は、再び客を取るため道路脇に立つのだったが…。
Amazon 内容紹介
「モンスター」は実話をもとにした伝記映画です。
監督はパティ・ジェンキンス監督。
ワンダーウーマンの監督として、日本でも有名ですよね。
「モンスター」は監督の初長編作品になります。
元娼婦で、女性としては珍しい連続殺人起、そしてアメリカで10番目に死刑になった女性でもあるアイリーン・ウォレスの物語です。
アイリーンを演じるのはシャーリーズ・セロン。アイリーンを演じるために、セロンは姿形を彼女に寄せました。
映画でも描かれましたが、アイリーンの半生は悲劇的でした。
幼少期から虐待を受けて育ち、近親相姦は日常的、まともな教育も受けられず、娼婦として生計を立てて生きてきました。
そんな彼女の人生の中でも、何度かの転機はありました。
映画では描かれませんでしたが、一時は裕福な男性との結婚したこともあります。結局その結婚生活は、彼女の気性の粗さや素行の悪さに相手が耐え兼ねて、すぐに終わってしまいます。
二度目の転機ともいえるのが、セルビー(実際の名前はティリア)との出会い。映画「モンスター」のなかでは、セルビーを愛するアイリーンの姿が強調されています。
自殺を考えていたアイリーンはセルビーと出会い、二人で生きていきたいと願うようになります。そのためにはお金が必要で、アイリーンはセルビーの為にもまともな職につこうとします。
しかし学歴もなく教養もない、そのうえ異様な環境下で育ったアイリーンには社会性や道徳が欠けています。
前歴が売春婦でもある彼女に、社会は「まともな職」はそもそも与えません。彼女が更生しようと思おうが思うまいが、社会や制度は、彼女を冷たく突き放します。
仕方なく慣れ親しんだ売春を再開するものの、娼婦としては年を取り、見た目も男性の好みに合わない彼女に客はほとんどつきません。
あらゆる現実が立ちふさがり、まともな道への行く手を阻まれた彼女は、ついに次々と男を殺して金銭を奪う、「モンスター」と成り果てる……
売春でひっかけた男を殺し、冷酷に金品を奪うアイリーンは確かに怪物かもしれません。
でも、本当に「モンスター」は彼女だけなのでしょうか?
セルビーは夢見る女です。いつか海沿いの家でまともな人生を送らせてあげる…アイリーンのそんな非現実的な言葉を信じ、アイリーンが体を売って稼いだ金で酒を飲み、生活が困窮すればアイリーンを責めるばかりで、自分は何もしません。
男に裏切られ、道具扱いされてきたアイリーンにとって、初めての女性の恋人で親友のセルビーは、この世で唯一の「純粋」なものです。
しかしセルビーにとってのアイリーンは違います。結局のところ、セルビーにとってもアイリーンは「その辺の売春婦」と変わりません。今までアイリーンを弄んだ男たちと同じです。楽しませてくれればいい。それができないのなら価値がない。
結局、アイリーンの罪は、セルビーの裏切りで露見しました。
セルビーはアイリーンが殺人で得た金で生活していましたが、司法取引のおかげで罪に問われませんでした。
アイリーンがモンスターなら、セルビーは何なのでしょうか?
道端に立つ女を、金で買う男たちは?
まともな生き方を目指そうとする、底辺を生きた人間をさらに突き放す社会は?
10代のアイリーンを繰り返しレイプした家族は?
処刑される前のアイリーン・ウォレスの言葉が、あまりに真理をついています。
「世の中ふざけている!警察、社会、システム。レイプされた私が処刑され、本や映画で金儲けに使われた。このクソが!」
アイリーン・ウォーノス
見終わった後も、呆然として、色々と考えてしまう衝撃作です。
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こっからはお気持ち構文なので読まなくても大丈夫です。
今回、どうしてこの「モンスター」の記事を書こうと思ったかというと、ネトフリックスで配信が始まった「呪怨 呪いの家」について思うところがあったからです。
私はね…この呪怨新作…
すっごい楽しみにしてました…
配信される前の評判も良かったので、久しぶりにイキのいいJホラーか~!見て~~~!!!!
って…指折り配信日待ってました…。
で…実際に配信されても忙しくてなかなか見られなくて、そのうちツイッターには感想が流れてきて、私はネタバレウェルカムなんでむしろ自分から検索しに行って…
なんか実際にあった平成の猟奇事件の話が出るって聞いて
あっ…ふーーん…?そうなんだ…え…?呪怨で…?ドキュメンタリー風なん…?
ってなったんですがそれでもまだ気になってて…その後別のツイートで「ある雑誌で組まれてる特集解説見てないとよくわからなかった!」っていうのがあったんで
読んだんですよ。
そしたらまあ、本当に色々な平成事件を取り入れてるようで。
ほとんどは一定の年齢であれば誰もが一度は聞いたことがある事件で、実際にすでにモチーフにされた映画や本が出ている事件も多くて…うーーんという感じ…なぜこんな風化もしてない事件を今…?しかもホラー映画で…?どうやって描いたんだ…?犯人も遺族も生存者もほとんど生きている事件じゃないか…
このもやもや感は何だろう…と思いつつ読み進めるうちに、ある事件名が出てきて思わずぎょっとしました。
ここで事件の内容は深く書きません。
どうしても真実が気になる方だけwikiに飛んでみてください。
妊婦さんは亡くなりましたが、当時お腹にいた赤ちゃんも旦那さんも生きています。そしてこれは未解決事件です。犯人はまだ捕まっていません。
驚いた勢いでツイッターで検索してさらに驚きました。
ほかの凶悪事件は本編の背景に何となく流れる程度なのに、この事件の犯行の手口は、実際に物語に組み込まれて事細かに描写されているという。しかも
「呪怨のなかでは、犯人は旦那」
ここでもう、今回の「呪怨 呪いの家」は、実際の事件について知っている自分は、見てはいけない作品と感じました。
事件を知らない人が新しいJホラーとして見るのと、知っている自分がこれを見てしまうのは、全然違う。
そう思いました。
勝手とはいえ、ホラー好きとしてめちゃくちゃ楽しみにしていただけに、結構ショックでした…。なんのショックかも良くわかりませんが…
それで、改めて「実話をもとにした映画」いわゆる伝記映画について考え、真っ先に思い出したのが上記のアイリーンの台詞だったのです。
最近、洋画では映画スターやミュージシャンの伝記映画ブームと言っても過言ではないでしょう。クイーン、エルトン・ジョン、ジュディ・ガーランド…。
ジュディに関しては詳しくないのですが、クイーンやエルトンに関しては、きちんと本人や関係者と話をして作られています。多少の脚色も、ほとんどは同意あってのもののようです。
「モンスター」も死刑執行前のアイリーンの書いた手紙、インタヴューを通して、彼女の半生を徹底的に調べ上げています。それは彼女を単なる「シリアルキラー」として描かず、ひとりの人間として表現するための、最低限であり最大限の敬意だったと思うのです。
呪怨はどうなんですか?
「平成の凶悪事件を絡ませて、当時の暗澹たる時代を表現」?
それって、遺族や生存者全員にきちんと聞き取りをして許可を取った上で表現されてるんですか?
特に、名古屋の事件のような、背景に流されるだけではない、フィクション表現に凄惨な手口を用いた事件に関しては?
全世界配信という形をとるとわかった段階から、慎重に扱うべき部分じゃないんですか?
…伝記映画、でないにしろ、実際にあったことを、「物語」として広く発信する意味って、何なんでしょうね。
私は、一種の「教え」なのだと思っています。
「モンスター」を見たことで、私は、アメリカの売春婦、底辺で生きる人の苦悩を「知りました」。
「モンスター」を見るまで「知りません」でした。
ハリウッド大作のシンデレラストーリーのように、社会復帰ができる底辺の人間はごくわずかなのだということ。
社会は”本当の弱者”を黙殺してしまうことを。
アイリーンと似た境遇の女性は少なくないということ。
買った女には、何をしてもいいという考えの男の存在を。
結局私は、日本で生まれて普通に義務教育を受けて、まあまあ家族ともうまくやっている人間です。
大金持ち、またはホームレス、別の国の人、別の宗教の人。
私自身が同じ境遇になったことがない人々は、世の中にたくさんいます。
映画やドキュメンタリー、本を読まない限り、そういった別の現実の側面を「知る」ことはできないのです。
「知る」ことは視野を広げると信じています。
「知らない」ことには、なんの感情もわくわけがないのですから。
同情心でもなんでも、その時感じた感情から、何かを考えていくことが大切だと思うのです。
だからこそ、特に実在の人物や事件を扱われる場合は、描かれる内容が「真実である。最低でも、事実に近い」がなにより重要なのだと思っています。そして、なにより、関わった人々への配慮があった上で製作されるべきだと思います。
悲惨で凶悪で謎めいた事件が人の目を引き、どこか心まで引き付けるのはわかります。実際に起きたとなれば、そのリアリティも相まって話題性は高まります。
ですが、その残酷でぞくぞくしてしまう上澄みだけを切り貼りして、フィクションにすることになんの意味があるのでしょうか?
事件の奥深い部分で「平成の凶悪事件」ではなく「今も続く地獄」としていまだに痛みを抱える人たちの存在はどこにあるのでしょう?
全世界配信の、日本を代表する作品は、何を「教え」てくれるのですか?
実際の事件は、「暗澹たる時代を表現する」ための小道具でしかないのですか?
またアイリーンの台詞が脳裏をよぎります。
「世の中ふざけている!警察、社会、システム。レイプされた私が処刑され、本や映画で金儲けに使われた。このクソが!」
アイリーン・ウォーノス
お気持ち構文慣れてなさ過ぎてぐだぐだやんけ…
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